年齢差称が功を奏した

02年春季キャンプ直前。1人のメジャーリーガーの年齢差称が問題になった。

彼の名前は、ティモニエル・ペレス。

カープドミニカベースボールアカデミーの出身選手である。

しかし、彼は年齢詐称をしていたからこそメジャーリーガーになれたのである。

もし年齢差称をしなければメジャーリーグはおろか、カープアカデミーに入学することさえ出来なかったのかもしれないのだ。



ペレスが来日したのは96年。

4月5日の開幕戦でサヨナラヒットを放つ鮮烈デビューを果たした。

新戦力としての期待が大きかったのだが、首脳陣が内野手の強化を図った為に

6月末にペルドモ内野手と入れ替えられて2軍落ちし、 以降1軍に上がることは無く、

31試合 .278 1本塁打 7打点 の成績でシーズンを終えることになった。


97年も開幕から1軍スタート。

4月10日のヤクルト戦では高津臣吾投手から決勝本塁打を放つ。

シーズン序盤は代打起用が中心だったが、俊足・強肩ということもあり、実質外野の控え1番手だった。

5月以降は、相手の先発が右投手だったときはスタメン起用されることも。

5月25日の阪神戦では川尻哲郎投手から決勝本塁打を放ち、 見事に期待に応える。


勢いは衰えず、代打起用された5月28日の巨人戦では走者一掃の逆転タイムリー3塁打、

6月22日の横浜戦では勝ち越しタイムリーを放つなど、勝負強い打者として、カープに無くてはならない存在になった。



が、好事魔多し。



8月4日にソリアーノ内野手が昇格した為、 あおりを食らって2軍落ちしてしまう。

もはやこれまでかと思われたが、ソリアーノが8月末に2軍に戻った為、再度昇格を果たす。

極め付けは9月19日の巨人戦。6番レフトでスタメン起用されたペレスは、延長13回にサヨナラ本塁打を放った。



終わってみれば、87試合 .245 3本塁打 15打点 の成績を残した。

打率が少々低いのは否めないが、3本塁打がいずれも決勝本塁打だということは上記の通り。

数字からだけでは読み取れない、価値ある活躍をした1年だった。

そしてペレスに更なる転機が訪れる。


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