二刀流

99年、阪神タイガースの監督に就任した野村克也監督(当時)はファンの度肝を抜く計画を発表した。

「新庄剛志外野手(現SFジャイアンツ)の投手転向」である。


新庄はメディアの取材に対してこう語っている。

「センターの守備位置からね、『ピッチャー新庄』のコールがかかったら、マウンドまで走るんだ。絶対カッコイイよ。」

詳細は省くが、残念ながらこの計画は公式戦では実行されなかった。


実は野村監督は、新庄の投手転向を本気で考えていたのではない。

投手を経験させる事で投手心理を理解させ、打撃に活かして欲しいと考えていたのだ。

投手の練習中に新庄はこう語っていた。

「ストライクを取るのがこんなに大変だとは思わなかった。」




さて、この二刀流をやり遂げた選手が1人いる。今回の主役フェリックス・ペルドモだ。

ペルドモは96年に台湾・時報から来日した。これは彼にとっては2度目の来日だった。

92年にも1度来日していたのだが、この時は怪我のため1ヶ月で退団してしまった。


ペルドモが1軍に昇格したのは6月の末。

開幕戦でサヨナラヒットを打つなどの活躍をしていたペレスに代わっての昇格だった。

しかし、ペレスに比べて成績は目立たず、6試合 .083 0本 0打点 に終わった。


転機が訪れたのは、シーズン終了後の秋期日南キャンプだった。

地肩の強さを買われ投手に転向する事になったのである。

「MAX146kmの速球に多彩な変化球を持つ」

これが投手ペルドモの評価だった。

もっとも、ペルドモ曰く「ピッチャーは小学生の時以来。難しい。」



さて、97年のシーズンが開幕した。

ペルドモは開幕1軍入りを果たし、4月19日の中日戦でプロ初勝利を挙げるなど、

17試合に登板して 2勝2敗0S 防御率4.03 投手転向1年目である事を考えれば、充分すぎる成績を残した。


オフには自分に妻子がいる事を公表した。

ペルドモはこう語っている。

「引退したら日本で通訳をやろうと思っていたけれど、今は違う。国に帰ろうと思うんだ。」


2年目の98年は如何せん目立たず、13試合に登板して 0勝0敗0S 防御率4.15 に終わった。

しかし、99年に再び転機が訪れるのである。

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